新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史1 ~本村南遺跡と石田城~
さぬき市石田で平成29年(2017)に本村南遺跡が発見された。きっかけとなったのは大川広域西消防署寒川分署建設。工事に先立ち同年度秋から冬にかけて発掘調査が実施され、南北朝時代から江戸時代前半にかけての屋敷跡が見つかった。
屋敷跡は敷地を溝で四角く囲っており、北側に母屋と付属建物が東西に並び、その北には水溜施設があった。敷地南側は調査地外のため構造は不明だが、庭や門があったと思われる。
建物跡は地面に穴を掘って柱を設置した掘立柱建物である。柱材は消滅していたが柱穴の痕跡から建物の北辺の平面形が明らかとなった。また柱穴は複数が重なりあっており、柱穴からは南北朝時代、室町時代、江戸時代前半の土器が見つかった。同じ場所に建て替えを繰り返しながら約300年間住み続けられていたようである。
今回、発見された屋敷地の注目点は敷地を囲む溝に沿って発見された多数の杭の痕跡。杭は一列に並んでおり、敷地の境界際に柵が設けられていた可能性がある。そこには敵の侵入を防ぐ防御的な性格を垣間見ることができる。
ここで注目されるのが本村南遺跡の西180mにある小高い山。山上に今は光明寺があるが、かつてここには城があった。石田城である。江戸時代の記録には南北朝時代頃の築城を伝え、戦国時代の記録にも登場する。本村南遺跡の屋敷跡の成立時期は石田城築城時期に符合する。また、本村南遺跡の屋敷跡を囲っていた溝は江戸時代初頭に一気に埋められている。これは石田城の廃城に関連している可能性がある。本村南遺跡は石田城の歴史と深く関係した遺跡だったのである。
本村南遺跡から東に100m行くと栴檀川がある。この川は北流し津田川に合流し、瀬戸内海へと注いでいる。石田城跡は瀬戸内海に繋がる河川沿いの交通の要衝に築城されたのであろう。その中で本村南遺跡の屋敷跡は城と河川の間に形成された家臣の屋敷であったのかもしれない。
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