新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史9 ~白鳥神社御旅所周辺の石幢群~
東かがわ市松原に白鳥神社があります。白鳥神社正面の門を出て表参道をまっすぐ南に約800m進むと御旅所に至ります。この御旅所周辺には石幢(せきどう)と呼ばれる石造供養塔が5基程度残されています。
写真の石幢は御旅所から北東の宅地北西角部にあります。八角形または六角形の縦長の部材が見られる供養塔を一般的には石幢と呼んでおり、これも塔の中心にある縦長の幢身(どうしん)は方柱の四隅を面取りした八角形をしています。製作年代を示すような銘文は残されていませんが、幢身上に組み合っている屋根の傾斜がやや膨らみをもってゆるやかに傾斜する特徴から鎌倉時代前半期に遡る古塔と推測されます。周辺にあるその他の4基もおおよそ近い年代に製作されたものであり、鎌倉時代前半期に複数の石幢が御旅所周辺に造立されていた景観が推測できます。
石幢群のある場所を周辺の地形、地図、古写真から検討すると、白鳥神社のある場所が沿岸に形成された砂堆の端で、御旅所に至る参道はかつて海水の入り込む中海(ラグーン)であったと考えられます。そして中海から南の陸地の岸付近が石幢群のある場所になります。中海だった頃には白鳥神社付近は石幢群のある場所から見ると島のように見えたと想像されます。
ところで、石幢群周辺の陸地には付近に東西に延びる幹線道路が走っていました。古代に設定された南海道(なんかいどう)です。御旅所付近は東西に陸路の幹線道が走り、北には中海が広がり、外側の瀬戸内海に開けた交通の要衝であったと考えられます。交通の要衝には人々が集まり、にぎわいます。こうした場所に信仰の場としての宗教空間が出現し、石幢群が造立されたと考えられます。中海が埋まり、交通の要衝としての機能を終えた現在、石幢群は今なお静かに現存しています。
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