新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史13 ~増吽僧正産湯の井の井戸枠~
増吽僧正(ぞううんそうじょう)は室町時代の僧侶で中四国の多くの寺院を復興させ、弘法大師の再来といわれた人物でした。東かがわ市でも與田寺を中興し、また、水主地区の熊野三山とその麓にある石風呂も再興したと伝わります。
そのような増吽僧正の出身地が東かがわ市で、産湯に使用したと伝わる井戸が東かがわ市西村の民家の一画に残されています。江戸時代末期に書かれた『讃岐国名勝図会』には「増吽の井」として紹介され、眼の病気に効用があること、井戸枠に梵字が記されていること等が記述されています。
井戸は内部に石組がなされており、その上端部に井戸枠が置かれています。増吽僧正産湯の井の井戸枠は円筒形で外側の直径60㎝、内側の直径45㎝、高さ30㎝になります。井戸枠の厚さは7.5㎝です。
今回新たに判明したのは、この井戸枠の石材です。石材はさぬき市津田町と大川町の境にある火山(ひやま)で採石される白色の凝灰岩が使用されていました。この火山の凝灰岩は白粉石(しろこいし)または火山石(ひやまいし)と呼ばれており、古墳時代から石造物として加工されはじめ、戦国時代までは石造物製作の盛んな石材でした。
しかし、その後は急速に衰退し、花崗岩や砂岩の使用が一般的となる江戸時代以降はほとんど製品が見られなくなります。こうしたことから、増吽僧正産湯の井の井戸枠は江戸時代よりも古い時期の製作と考えられ、伝承と年代的には矛盾しないことが指摘できそうです。
火山石を使用した井戸枠は他には発見されておらず、現在のところ増吽僧正産湯の井が唯一という点でも貴重といえます。なお、讃岐国名勝図会には梵字が記されているとありますが、現在、その梵字を確認することはできません。
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