新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史19 ~東日本からの移住者の家? さぬき市寒川町本村遺跡~
前回はさぬき市寒川町石田東にある本村遺跡が石田城に関わる遺跡であることを紹介しました。発掘調査で出土した遺物の多くは戦国時代から江戸時代初期のものでしたが、調査区の北東部付近からはさらに800年も古い奈良時代から平安時代の土器の破片が多く出土しました。特に東端部分からは出土量が多く、掘り下げていくと方形の平面形をした竪穴住居跡が発見されました。
この竪穴住居跡は北側に甕(かめ)を連ねてトンネルにした施設があり、竈(かまど)で煮炊きした煙を外に逃がす煙道(えんどう)であることが判明しました。竈を設置した竪穴住居跡は香川県では飛鳥時代のものが各地で発見されていますが、この竪穴住居跡は出土した遺物から年代は奈良時代後半と考えられます。この頃になると人々は竪穴住居ではなく掘立柱建物に住むようになっているので珍しい事例といえます。
また、煙道の長さは飛鳥時代の一般的な竪穴住居跡に比べると長く、さらには煙道内に補強として甕をつないだ構造は香川県内でははじめての発見になりました。竪穴住居跡の中からは生活に使用していた土器が多数出土しましたが、真っ黒な皿や碗が複数ありました。これは煤を土器に付着させて意図的に黒く製作した土器で黒色土器と呼ばれています。黒色土器は香川県では平安時代を少し過ぎた頃から製作されるのでこれまた奈良時代のものという珍しい事例になりました。
このように、本村遺跡の竪穴住居跡は年代や竈の構造、そして出土した黒色土器において特異な存在と評価できます。ではどうしてこのような珍しい竪穴住居跡がつくられたのでしょうか。実はこうした特徴をもつ竪穴住居跡は香川県では大変珍しいのですが、神奈川県には類例があるのです。また黒色土器も多く出土します。
つまり、本村遺跡で発見された竪穴住居跡は今の神奈川県付近の東日本から移住してきた人の家と考えられるのです。ではなぜ東日本の人が移住していたのでしょうか。当時の社会は律令社会でした。人々は九州の警護に赴任したり、税をおさめるために都に行ったり、時には国家によって強制的に他地域に移住させられた集落もありました。本村遺跡の竪穴住居跡に住んでいた人も詳細は分かりませんが律令社会を背景として何らかの理由により移住してきたか、あるいは移住させられた人であった可能性が想像されます。
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