新発見 東かがわ市・さぬき市の歴史8 ~東かがわ市水主円光寺から発見された中世瓦~
東かがわ市水主の丘陵裾に真言宗善通寺派の円光寺があります。大正15年刊行の『大川郡誌』には円光寺周辺の田地から古瓦が出土するという記述があり、平成26年に周辺の調査を実施したところ、円光寺から南東の山裾で多数の瓦片が埋没しているのを発見しました。
瓦片は軒丸瓦、軒平瓦、丸瓦、平瓦、雁振瓦(がんぶりかわら)、鬼瓦があり、軒平瓦の文様の特徴や瓦の形・整形痕から15世紀代の瓦であることが判明しました。円光寺の歴代住職の内、4代定全は水主神社外陣大般若経を応永32年(1425)~永享4年(1432)に書写しています。また、5代良正は文明12年(1480)の水主神社棟札に名が見られます。このように円光寺は中世段階から寺の存在が確認されていましたが、瓦からもその存在が明らかとなりました。瓦片を確認したのは現在の円光寺南東の谷部なので、中世段階は谷部に境内が展開していた可能性が推測されます。
瓦片の中で特に重要な発見となったのは文字を刻んだ丸瓦でした。破損により文字の全容は分かりませんが、3行に刻まれ、1行目に「住持良吽」、2行目に「□葺 願主 盛政 五十七歳」、3行目に「算全 家政」とあります。ここから当時建造された建物(瓦)の願主が「盛政」なる人物であることが判明しました。「盛政」から想起されるのは水主盛政です。水主盛政は水主神社所蔵の『外陣大般若経』の大檀那として登場する人物です。永享4年(1432)に書写された『外陣大般若経』巻第389には18才の記述があり、「盛政」が水主盛政と同一人物とすれば瓦には57歳とあるので、年代は文明3年(1471)になります。これは形から見た瓦の年代と矛盾しません。瓦には他に「住持良吽」、「算全」、「家政」等の僧侶・在家の人物名があり、当時の円光寺僧侶及び円光寺と関わりのあった人物と考えられます。円光寺で発見された中世瓦片は中世円光寺とその周辺地域との関係を知る貴重な資料です。
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